教員ブログProfessor's blog

食卓を囲む楽しみ

岡戸 真幸


2025年4月現在は、改装中。[筆者撮影]

 上智大学の最奥部のホフマン・ホール4階には、ムスリム(イスラーム教徒)に対応したハラールフードを提供する東京ハラルデリ&カフェがあります。この食堂はまた、ヴィーガンにも対応したメニューも用意しており、両者を含め、多くの学生でにぎわうお店になっています。店のメニューの中心はカレーです。私のおすすめは、カレーと共に出される焼き立てのナンです。香ばしい匂いがして、とてもおいしいです。

 この場所には、私が知る限り、かつてパスタレストランがありました。注文が入ってからフライパンでパスタとソースをからめてから出してくれる点が気に入っていました。その後、今は2号館に移ったサブウェイが入り、それから、最初はキッチンカ―で出店していた今のハラールレストランが入る形になり現在に至っています。

 さて、写真にあるように、お店の看板の中央には、ハラールというアラビア語の言葉が書かれています。ハラールとは、イスラームにおいて「許されたもの」を意味しており、ムスリムの行動規範になっています。ハラールは食べ物以外にも日常的な行動も含んでいますが、特に食べ物は、ムスリムが様々な地域で異教徒と共に暮らすようになってから、彼らが宗教的により安全で安心したものを食べられるようにハラールフードという形で発展してきました。この言葉が掲げられていることにより、このお店では、ハラールな食事を提供していると解ります。

 ムスリムが食事においてハラールを守るためには、大まかにいえば、イスラームで禁じられている豚肉(及び由来する成分)とアルコール(これらのものは、ハラーム[禁じられたもの]とされています)を避ける必要があります。ハラールフードとはこれらが含まれていない食事を指しますが、見方を変えると、特定の食材を含まない条件は、ヴィーガンやベジタリアンにもあてはまります。学内にいるムスリムが自らの信仰を大切にしながら、空腹を感じることなく過ごせるという意味で、この食堂は意義深い役割を持っていますが、それだけではなく、ハラールというイスラームの宗教規範を窓口にした広がりを持っているのです。日本では、例えば東京都産業労働局でのハラールやヴィーガンに向けた様々な取り組みをみても、ハラールを特定の食物を食べられない人たちに向けた対応の一環として捉えようとする傾向があるようです。

 何気なく私たちが口にするものを食べられない人がいるということを知り、また、そうした人たちが食べられるものを共に食べてみる、ということは多様性の理解につながります。様々な人たちが同じ食卓を囲めるのは、お互いの交流にもなります。

 焼き立てのナンが食べられると冒頭で書きましたが、私が今まで主に関わってきたエジプトでも同じような平たい種なしパンが主食となっており、学内で似たようなパンが手ごろな価格で食べられることをとても嬉しく感じています。私は、エジプト流にある程度の大きさにちぎって、三角錐を作り、スプーン代わりにしてカレーなどをすくって食べています。エジプトでは、スプーンも使いますが、エーシ(アラビア語エジプト方言で平たい種なしパンを指す、正則アラビア語ではアイシュ)で料理をつかんで食べたり、スープをすくって飲んだりします。おかずとパンを両方味わえるので、とてもおいしい食べ方です。

 このアイシュ(エーシ)という言葉は、パン以外にも「生活」を意味し、アーシャ(生活する、暮らす)という動詞から派生しています。いわば、生活の糧という意味合いがあるのですが、アラビア語を話す国でも、アラビア半島のクウェートでは、パンではなく、細長い米(長粒種。日本のお米は、短粒種になる)を指します。クウェートでは、パンも食べますが、米が生活の糧としての主食になっているからです。

 アラビア語は、アラビア半島から北アフリカにかけての広い範囲で使われる言語ですが、エジプトではエジプト方言、クウェートでは湾岸方言といったいくつかの方言が存在しています。アラビア語の特徴は、同じ言葉でも、それぞれの地域に方言という違いがあり、そしてそれぞれの地域を結びつける正則アラビア語という共通語が存在する点にあります。このアラビア語の広がりは、イスラームの聖典クルアーンがアラビア語で書かれており、またムスリムが日々の礼拝で唱える際にも用いられているといった背景とも関連しています。

 ハラールという規範を持つイスラームは、7世紀にアラビア半島で誕生した宗教ですが、東地中海から北アフリカ、イベリア半島まで到達するイスラーム王朝を作り、また季節風貿易によってインドから東南アジアまでムスリム商人が交易を行い、移住していった歴史を持ち、その結果、いまや世界中に信徒を持つ宗教になっています。上智のハラールレストランが、中東の食文化とは異なるカレーを中心に提供していることは、こうした広がりを示しているともいえます。

 さきほど紹介したアイシュ(エーシ)は人々の糧を意味していますが、アラビア語には、「パンと塩」という言葉があり、いわば食の基盤であるこの二つを共にした人々は仲間である、と考える意味があります。これは、共食の文化があると示していますが、異教徒である私もエジプトで出会った人々と様々な機会に食を共にすることで、仲が深まった経験を持っています。エジプトでお世話になった人に対してしばらく連絡を怠ると、「私たちは、パンと塩を食べた仲ではないか」と元気かどうかを問われたことがありました。一つのエーシをちぎって分けあい、また、同じ皿の料理をエーシごしに手でつかんだり、すくったりして食べる、その時間の共有が関係を作っていくのです。

 食に関する規定があると不自由に感じるかもしれませんが、ムスリムは、決まりごとを守った先に、食卓を囲む楽しみを持っていると考えられます。エジプトでの私の経験からすると、彼らは、食べることが好きなだけではなく、他者とそれを分かち合うのも好きなのだと思います。偶然、人が食べるところに出会うと「こっちに来て、一緒に食べなさい」と声をかけられ、共に食べるように勧められます。私は時々、声をかけてくれた人が見知った人であれば、彼らと親しくなるために、そうした食事の輪に加わります。そして、誘ってくれた人から、食後に「(あなたに)健康と癒しがありますように」と言われることもあります。これは、彼らの歓待の精神の表れであり、満足な食事が人を潤すという考えがあるからです。誰かと食べる食事は、心を豊かにし、また、お互いを知る機会も与えます。食べ物を介してお互いを知る試みは普段だけでなく、特別な時期にもみられます。例えば、イスラームで1年に1度訪れるラマダーン月には日の出の少し前から日没まで一切の飲食を絶つのですが、その毎日の断食明けの食事は、家族や親しい者同士でとるのが良いとされ、お互いに招きあう機会になります。食卓を囲み、同じ食事を分ちあい、お互いの仲を深める、そうした食事の風景は、彼らの暮らしにしっかりと根付いているのです。

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